リーマンショック~震災前後~の極貧の頃【前編】

不況下の派遣社員時代は、特別な人を除き時給が安く残業もない本当に辛い日々であり、お給料と副業でやりくりしていました。
こちらは備忘録として書き留めたいと思います。

見栄があった

『お金が無い』その一言が言えませんでした。
同僚に仕事帰りに買い物&ご飯に行こうと誘われ、超正直に「忙しくないけど行けない」と答えてしまった事があります。お金が無いと言えなかった、という事実を9年後に告げ謝りました。つい最近の事です。
外食では月並みですがより安いものを選びます。ちょっといいイタリアンのお店に行った際は「胃の調子が少し悪い」と言って一番安かったメニューであるリゾットを選びま
した。

懸賞とモニター

貧乏とバレない様に懸賞にも積極的に応募します。懸賞生活に磨きをかけていたのでキッチン用品や日用品を懸賞で手に入れていました。当時流行り始めた『サーモマグ』も懸賞でゲットしました。当選したスタッズが無数についたロックな財布を使用していたら、あまりにも私のキャラじゃないので周囲がザワついていました。
高級ホテルの宿泊券が当選し大学時代の旧友を誘い高揚感がありました。しかしながら、当選したのは宿泊のみで食事は自腹です。ホテル内のレストランはかなり高額で目ん玉ぶっ飛びました。
前に覆面調査員の記事の通り、覆面調査員(ミステリーショッパー)は多種多様の案件があり時間がたっぷりある私には楽しく小銭稼ぎができ生活の助けとなりました。特に食事系のモニターはお店で食べたりテイクアウトしたり日頃いいものを食べられない胃袋に沁みました。

生活用品

今はメルカリという選択肢がありますが、当時はヤフオクやハードオフ・オフハウスが大活躍です。そしてキングファミリーの衣類の安さと言ったら感激モノでした。見栄を張る為にもここで買ったスーツ・ワンピ・靴、ありがとうございました。そしてなんといってもフリーマーケットです。出店したり購入したり、外での日焼けには悩まされましたが楽しかったです。

節約いろいろ

自宅の冷暖房はほとんど使用せず夏は窓を開け、冬はお風呂に入ってすぐ寝ていました。車の冷暖房も使用しません。雨の日は洗車できるチャンスとばかりにびしょ濡れになりながら短時間で車をゴシゴシします。翌日晴天なら洗い方にムラがある愛車が確認できます(笑)
シャンプー・リンス・ボディソープと幾つも買うと非効率だと考え、ボディソープだけ買って髪の毛も洗いました。界面活性剤だからみんな一緒かな?と思います。ついでにそのままボディソープで手洗いで洗濯もします。洗濯機を持っておらず、コインランドリーはお金持ちしか行けない場所だったのです。。手洗いが基本なので冬は手荒れが酷かったです。
そこで活躍したのが貰ったワセリン。冬は手にも顔にもよく塗り込みました。髪の毛もパッサパサだったのでワックス代わりに薄ーく塗っていました。

食べ物

会社はお弁当持参です。フリードリンク(甘い飲み物も)が置いてあったので貴重な糖分を摂取すべく飲みまくっていました。また、出張や旅行のお土産のお菓子が自由に取れるように置いてあるので何度か往復して頂いていました。これも貴重な食糧です。
スーパーでは100円以上の食材に悩み抜くのは当たり前で、惣菜は夢のまた夢…惣菜の臭いを一生懸命嗅いでじっくり見て『目で食べる』行為を行いました。
安い野菜となると自動的に旬の物になります。季節を感じられいいことばかりではありません…冬は毎日白菜・夏は毎日キュウリ・正月は毎日お餅(みんなくれる)…

自宅での調理についてはポイントがあります。

ズバリ、肉や野菜はあまり火を通さない!

肉のはレアすぎはかなり危険な行為です。
理由は単純に『火を通すとどんどん小さくなるから』。
お腹いっぱいたくさん食べたい、という貧乏人の気持ちわかりますか。

投稿者: negimenmaru

就職氷河期に田舎の会社へ就職し安堵。と思いきや転職→退職→リーマンショック後の不況で年収180万の派遣社員に。転職を繰り返し年収250万の正社員→コロナ禍40代でまた転職。

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