会社のローカルルールに踊らされる

副業の仕事のドタキャンが多かったのでBANされてしまったnegimanmaruです。自己責任です、また収入減りました。残業もほとんど無いし節約生活と老後の貯金を頑張りたいです。

お茶当番のシフトは形式だけで、毎日新人が行うべし?

お茶汲みも消えそうなご時世、お茶当番なるものがある会社。女性が全員で当番制のようですが、結局毎日下っ端の新人がやっています。『新人だから当然』の勢力も、形式だけのシフトも消えてしまえ。

挨拶は下の立場の者人が先に言う?

挨拶は下の立場が先に言う決まり。ふんぞり返りたい、優越感に浸りたい人には嬉しいシステムです。気付いた方が言えばいいじゃん。

初任給の給与明細は先輩が閲覧できる?

初任給の明細を手渡しで貰ったところ(ペーパーレスではないです)、「おい、見してみろよ」と新人の明細を何人かで見られていました。ダサいと思いました。

今や働く環境も改善されつつあり、昭和の風土も昭和の会社員も消滅間近とはいえ、そんな昭和の風土を完璧に受け継いだ一部のロスジェネ達がいる限り改善は続くでしょう。威厳を保つのもご苦労かもしれませんが無駄な苦労はしなくていいのに。

2011年に派遣切りされた話

かなり前に記事にしました派遣切りされた出来事の流れを描きたいと思います(面白くはないです)。2011年、アラサーの私はリーマンショックの後の不景気の中なんとかgetしたホワイト企業の派遣スタッフとして毎日のほほんゆるゆるの毎日を過ごしていました。しつこいようですが、本当にラク過ぎました(但し、不況で時給も安かったです)。

3.11東日本大震災が起きる

昼食を食べて午後の昼下がり、ホワイト企業の社内の室温は適温で眠気を誘います。マイペースでやる仕事をマイペースにやりつつ窓から外の木々を見つめたり、同僚と昼食の感想を言いあったり(笑)そして凄まじい地震が襲います。
大きな揺れと、社内はモノが散乱し天井の埋め込み空調が落ち、スプリンクラーが回っていました(なぜか熱湯だった)。全員の点呼が完了し、みんなで寒空の中3時間待機していました。その間、仮設トイレが設置され銀色の防寒シートが配られ、避難時に持ち出せた非常リュックの中のカロリーメイトを食べていました。ホワイト企業マジ凄い。ロッカーの最低限の私物もグループに分かれ取りに行けたので、自家用車組はこれで帰宅になりました。電柱は倒れ信号は止まっていたので20キロの道のりに4時間かけて帰宅した記憶があります。

自宅待機を言い渡される

ココから2か月間自宅待機となりました。6割か8割だったか給与も補償されています。放射能が恐いからというだけではないけれど、当時ガソリン不足が大問題となっており車で出かける事は極力控えていたので結果ひきこもりになっていました。コロナ禍と同じでネット三昧の日々です。そんな中でも派遣先のホワイト企業からは非常用のミネラルウオーターが10L届きました。当時は放射能騒ぎで品薄だったミネラルウォーターなのでホワイト企業ホント最高。そして派遣先が震災の影響で撤退となり想定内の契約解除の連絡も受けました。

最終出勤日

待機期間中に一度だけ出勤しました。それはガラクタの山の部署の必要な物探しと片付けです。建物自体はもう使えないので取り壊しになる為、必要な物を皆で取り出し作業です。これが最後の顔合わせとなりました。その際にも社員の方々からかなり高級なセンスの良いプレゼントを頂きました。お詫びの気持ちもあったのでしょうか。転勤確定の社員さん達も大変な状態の中、気遣いには感動しました。最高の環境で安心して経験を積ませてもらい、ホント派遣で行くならホワイト企業に限る

仕事なんとか決まる

有効求人倍率が0.65%の時代とはいえ、どんな仕事でもやる気持ちで派遣会社にお願いしました。たまたま前と似たようなホワイト企業での派遣のお仕事があり幸運だったと思います。しかも時給もアップしてここでも新しい経験が積めたので数年後に転職する大きな足掛かりになりました。

振り返ると、大企業での派遣社員は心が穏やかに過ごせて経験も積めました。成長できたし、正規非正規に関わらず、会社の後ろ盾がなくなった時に自分が空っぽにならないよう少しでも経験を積むつもりで働く事をお勧めしたいです。

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